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2016年3月1日、火曜日、午後10時、札幌の天候。今日は終日曇りで、ときどき雪がチラついたが積雪には至らない。ただ冷たい風がときどき吹いて路上でホワイトアウト現象が起こることがあった。(もつともときどき短い晴れ間もあった) 明日も午前は雪らしい。気温が定温になるには3月3日以降らしい。なかなか春になってくれない。
マイナス金利の天気予報は、このほど株式会社を話題にし続けていて、前々回「奥村 宏さんの著作で日本の現実を知る」よう薦めていた。
ところで近代経済学の教科書には、「企業の生産性」を扱う場面がある。「コブ・ダグラス生産関数」というものですよ。
企業の生産性には、企業が雇用する労働に関する「労働の生産性」と、企業が投資する生産手段の挙げる生産性の二つがある。この後者は「資本の生産性」と呼んだりしているが、全資本ではなくて、もっぱら物的な生産要素にかかわるものだ。
ところで企業が現実に挙げる「生産性効果」の中で、単一の「労働の生産性」効果には仕分けられず、単一の「投下資本の物的要素の生産性」にも仕分けられない部分が発生することがある。(それどころか、かなり発生するのが通例である。)このような部分をなんというのか。官庁の報告書などはこの部分を「要素生産性」「全要素生産性」なぞと呼称する。つまり「労働という生産要素のせいではない」「資本の物的な要素のせいでもない」しかし現実にその二者とは区別されて現れている「生産性」だと。政府の経済白書によく出てくる。
「労働」の部分でもない、「資本」でもない、しかし「企業」の全体に現れる生産性である、と。概念としてはこのように立つ。しかし内実の詳しい説明はブラックボックス。そうするとこの「企業のあげる全要素生産性」とは、論理的にはっきりしているのは、生産要素の組み合わせ方によるものだ、とするしかない。そうするとこういう「企業全体の生産性」は、生産要素の組み合わせ方を決断したトップ経営者のもっぱらなるお手柄というわけか。(そうであるかどうか別として、トップ経営者は異常に高い報酬を会社から得ている。)
奥村 宏さんももちろんこういう「企業論」を知っておられるだろうが、これには一切触れようとなさらない。
なにやら古典派経済学の個人資本家が「経営労働」することが、資本利潤の源泉であるという、悪名高い「経営労働」論と相通じますね。
だから「個人資本家もやはり労働者なのだ」「ただし経営労働者という特殊の労働者なのだ」と。これとどこが違うのか。
似たような議論を米国のクルーグマンという経済学者はよく駆使していました。(たいへん便利な議論なのです。)クルーグマンはこの「学説」を、共産圏諸国、低開発諸国、日本も含むアジアの諸国の経済を貶めるために、よく駆使しました。「労働を増やしたからといって」、「資本設備を増やしたからといって」、それらの国々の経済の生産性はちっとも進歩していない、と。(財政投融資で経済を活発化したばあいも、たいていこのクルーグマンが指摘したようになりますけどね。そうするといまアジア諸国にG20の会議が財政出動を求めたりしているのは、結局一時しのぎのことをしなさいよといっているのですね。)