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2016年2月29日・閏年・月曜日、午前9時。札幌の天候。朝からまるで雨でも降るような勢いで小粒の雪が降り続いており、視界が曇って、ホワイトアウト状況。さいわい風はそれほどではないが、もしこれで風が強ければブリザードになるだろう。昨夜来の積雪は10数センチ。午後から雪はやむという天気予報だが、午後になってみなければわかるまい。明日は雪という天気予報。なかなか春になってくれない。
マイナス金利の世相の、天気予報。株式会社を取り上げてきた。
前回、19世紀イギリスの資本主義では、営利事業には株式会社制度の適用が社会的に認められていなかったと書いた。
19世紀末から20世紀初頭になると、ちょうど世界史的に重化学工業の振興期にあたったこともあって、事業の資本規模を拡大するために営利事業に株式会社制度が採用されはじめるようになった。
しかしこの過程は考えるべき様々の問題を残している。たとえば独占資本主義は、その一例。ケインズなりマクロ経済学なりのように、「企業」を当然の前提のように議論するのは雑な議論であろう。
私達日本人には、株式会社制度を根本から反省するための必読書がある。奥村 宏『法人資本主義‐‐「会社本位」の体系』朝日文庫、1994年などの、奥村 宏さんが執筆した一連の著書である。これらは第2次大戦後50年間の日本の歴史的現実を詳細に踏まえているので、日本人には身につまされるほどよく分かる。
奥村さんの議論のほんの一例。
「法人企業」はヒトではないのだから、その法人企業が当然のように政治献金するのはいかがなものか。
「法人企業」は元来生産的投資を集める手段だとおもうが、それが別の企業を買収することを目的にしたり、なんら生産とは無関係な活動を主力としたりするのは、いかがなものか。
ぜひウイキペディアで奥村 宏と引いて、みていただきたい。
1966年以来2013年までに及ぶ「法人資本主義」関係の大量の著書名が示されている。
「法人による株式所有によって成立する日本の資本主義を法人資本主義と名づけた」(同ウイキペディア「奥村宏 実績」より)
法人資本主義を、
1. 株式所有の空洞化をもたらしつつ、業績にかかわりのない株高構造を支える。
2. 系列内外を問わず業務提携を支える持合が、企業経営に対する監視機能を喪失し無責任体制を構造化、ひいては、
3. 会社不祥事の続発に歯止めをかけることのできない経営構造を生み出し、
4. 死ぬまで会社にしがみつく「会社本位人間」が成立する前提とすらなっている、
と(奥村 宏は)分析した、と同ウイキペディア中に書かれている。
「マクロ経済学」の日本の経済社会についての現実が、このような「法人資本主義」体制であったことを度外視して、たんに教科書的に日本の「マクロ経済」を語ることは、空疎であろうと思うよ。