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2016-03-09 11:31:00

2016年3月9日、水曜日、午前11時、札幌の天候。朝方すっかり空が晴れ上がっていたが、だんだん曇ってきた。暖かく、風のない日。道路はいまはすっかり黒々としている。雪の山は道路の端で、減少中。しかし、今晩から明日にかけて吹雪が懸念されるという天気予報が出ている。

マイナスの金利の天気予報。

今日玄関にいつも取引のある人物が来て、電力自由化によりその会社と契約しないかと言う。従来はなにかのフエアのときなどに公開で募集していた。当家は「今はしない」と断った。例の日本ロジステックという会社の「撤退」が報じられたばかりである。日本ロジステックの場合、ここに電力を供給する契約をした地方自治体がいくつか、「使用電力代金」をもらっていなかったという。(そしてこういう場合、消費者は、旧来の電力会社と再契約することになるが、再契約の過程で消費者はかなりの損をするであろう。)

以前合衆国で、発電と配電の分離をしたときに、ある種の事情で大停電が起こったことがある。今回の日本の電力自由化では、合衆国のような事態が起こらないようなある程度の歯止めはかけているだろう。しかしあらゆる歯止めが掛けられるものとは思えない。大掛かりな画策の余地が隠れているかもしれない。

いずれにせよ、目先で「高くなるか、安くなるか」程度の判断で、永年慣れたありようを捨てるのは早計と踏んだ。

こうやってセールスに来た人は、その人自体は出世頭で、なかなかのやり手である。しかしこういう契約をするさいのリスクについては一言も語らないし、合衆国の歴史的事情など、なにも念頭にない。(当方も別に聞きもしない。)リスクはすべて消費者が負うと言う次第だ。ただ、今回辞退したい、と言っているだけだ。

法人企業という話題に戻ろう。

奥村 宏さんの法人資本主義は、優れて身近の、実証的な議論だが、経済学とのつながりはなく、国際的視野も、時代を超えての視野も、ない。

楠井敏郎さんの法人資本主義は、国際的視野と時代を超える視野がある。また、経済史を介して経済学と繋がる。

奥村さんに次ぐ「(法人企業をみる)第2の目」としていいだろう。

このような法人資本主義が、「専門的会社経営者」という人々に支えられて発展した。このような「経営者達」を育てる高等教育(端的にはビジネススクール)が20世紀の合衆国で育ち、その学科目が、経営学や会計学である。その様子は、楠井著でよく伺える。

わが日本でも、戦後1960年代ぐらいに、経営学が世に知られ始め、高等教育に、全国的に経営学部の設立が提案され始めた。日本にとってそう古い話ではない。(我が国の法人企業を考えるとき、配慮してよい話題である。)

 

2016-03-08 23:32:00

2016年3月8日、火曜日、午後11時、札幌の天候。定温、曇り、風なし、雨も雪もない。

マイナス金利の天気予報。ネットを読んでいても、あるいは最近身近で会って話をしている人々の様子からも、人々が追い詰められてどこかへ走ろうとする気配を感じる。

それが妥当か、否か、ということは、今は問わない。

ただ、同時に、内心こうも思っている。今のこの経済社会は、なにかのきっかけで突然崩壊するようなことがあってもおかしくない。

現社会の中心になっている存在は、法人企業である。この法人企業の意義やありようやを今よく吟味しておくことは、崩壊した経済社会を新たに作り直す場合に、こよなく参考になるであろう。

いったい普通であれば、社会の崩壊を招きそうな事態を、心ある指導者は避けるものである。それがそういう危機を避けないのは、ことほど左様に何事かに追われているのであろう。かつて日本人ほど銀行を大切にしてきた国民はなかった。ご存知だろうか。かつて戦後の大インフレ期に、インフレ率を上回る民衆の銀行預金の伸びがあって、これが戦後日本のあの高度成長を支えたのだ。民衆の信じるものをなにか目先のつまらない手柄と引き換えに失わせるとは、およそ信じられない話。いまへたマゴするとゆうちょがつぶれてしまうが、いったいなにをやっているんだろうね。

いま読んでいる本から引用する。「20世紀初めに成立した合衆国の巨大法人企業は、チャンドラー・ジュニアによれば、生産過程だけでなく、製品の販売、原料の仕入れ過程をも、したがって企業活動の前提となる市場の一部をも、当該企業の一事業部門として内部化した企業となっていた」うんぬん。楠井敏郎『法人資本主義の成立』日本経済評論社、1994年、18ページ。昨日だったか、「外部市場の内部化」という法人資本のぶっきらぼうなありようを示したが、この引用箇所はそれがなまのままでているところが面白い。

なに、こんな単純なだけのものではありませんぞ。

 

2016-03-07 14:54:00

2016年3月7日、月曜日、午後3時。札幌の天候。たいへんな好天気。温度が高く、風もない。うちのベランダの雪は冬期中今年は一回も除雪したことがなかったが、すっかり解けてしまいました。春を実感します。しかし実際はなかなか本当の春にはならないでしょう。

マイナス金利の天気予報。法人企業が存在する経済社会の構造について、書いてきました。

ここで(資本主義の)商業世界とは、法人企業が関わる商業の世界で、法人企業どうしが取引する商品Cの世界、法人企業が生活物資を国民に販売する商品Bの世界、法人企業が雇用したり、土地を借りたりする商品Aの世界に分かれますが、なんといっても中心になるのが商品Cのいわゆる「卸売市場」でしょう。

この「卸売市場」を中心として、商品Bの市場、商品Aの市場も含めて、この資本主義の商業世界は、経済学ではどういう概念規定で行なわれるか。なにしろ経済学も経済学者もいろいろありますので、一概には言えないのかもしれない。しかし、ずばりと言って、もっとも有名なのがマルクス『資本論』第2巻全体を充てて述べられている議論です。

簡単に言うと、こういうことのようです。商業と見え、商業世界と見えるのは、実はすっかり資本の回転の姿である。だから商業と言うのは、すっかり資本の回転の運動である。(ここでは資本とは産業資本です)資本の運動が自由に行なわれる以上、個別資本の回転の相互の組み合わせは、いつもなだらかに組み合うわけではない。社会的な個別資本の回転の組み合わせが大きく編成されて資本の循環という現象になるが、この資本循環こそが景気変動の原因になる、と。

このように商業世界で繋がっている企業どうしの関係について、アダム・スミス『国富論』の意見を聞きましょう。アダム・スミスは、資本主義の引き起こした生産力の発展を、基本的に「分業に根ざすもの」としているので有名ですが、(『国富論』は冒頭から分業の議論で説き起こしています)「工場内分業(作業場内分業)」、「社会的分業」の双方に分業の効果と利益を認めています。

19世紀までの資本主義は、基本的に個人資本家が作っている資本主義ですから、お互いが誰でも利用できる社会的分業にも非常な力点が置かれていました。それに対して今日の法人企業の社会では、以前と比べるとより多くの社会的分業が、個別的企業内分業に置き換えられています。このような分業の社会的体制の変化によって、社会全体の生産性はより高まったのか、あるいはかえって低くなったのか、それとも相殺されて変わりがないのか、断は下しにくいのですが、ただいえることは、以前の時代よりも生産力の高まりの効果は、企業の内部により多く吸い込まれるようになりました。

なにしろいまこのように語っているのは、たいへん大雑把な議論なので、これでにわかにどうこうという結論はでません。

ただ、「おや、そんなことがあるのか」位に思っていただきたい。

 

2016-03-06 15:06:00

21016年3月6日、日曜日、午後3時、札幌の天候。気温は確かにあがった。雨も雪もまったく降っていない。だから今のところ、大水の心配はまったくない。

日銀マイナス金利の天気予報。号外。もっとも、このほうが「マイナス金利の天気予報」にぴったりなのかもしれない。

今日インターネットを読んでいましたら、「2‐3万円ぐらいの金庫がバカ売れしている」という記事かありました。

買ってゆくのは年配の人が多いらしい。「銀行預金の金利低下の影響だろう」、「マイナンバーで預金の存在をひとに知られたくないということだろう」、のような推測が載っていました。「合理的推測」なら、もっとできる。

1. 突然の口座閉鎖を恐れる。 2. 国債不換を恐れて国債から手を引く。 こういうのは、国家に対する不信の現れです。

3. 保険に入って保険金を払い込んでしまったらどうだろう。

4. 前払い金を払い込んで、何か、予約してしまったらどうだろう。 これは「マイナス金利」の語感におびえて、適当に使おうという考え。

5. 土地・家屋を買ったらどうだろう。 6. 骨董品か美術品を買ったらどうだろう。これも、適当に使おうという考え。

7. 海外預金してしまおうか。これは香港かシンガポールの銀行に行ってドル預金しようかというような考えです。

8. いっそ貸し金業を始めようか。どんな時代にも、いますぐ金を借りたいという人間はいるものです。もっとも、それが合法的な範囲か。貸した金がこげつくというときにはどうなるのか。

いままでだって貯金金利はあきれるほどやすかったのです。国民が安んじて貯金ぐらいできるようにしておいたらいいのに。

 

2016-03-06 00:11:00

2016年3月6日、日曜日、午前0時、札幌の天候。3月5日は、一日、日照があり、穏やかな天候だった。今日は午後から雨と予報されており、また、気温が急に高くなって本州並みになると予報されている。そうなると気になるのは、大水の危険がないかということだ。なにしろ各家庭が家の脇に大きな雪山を持っているからである。この雪山が急に溶け出すということになれば。また、下水の排水がうまく行かないということが起これば。大惨事は免れない。

マイナス金利の天気予報。法人企業が存在する経済社会の構造を考えてみようとした。架空の話ではない。現在の私たちの経済社会の組み立ての性質を、観察しようとしているのである。

この「お知らせ」欄がまるでブログ同然の視聴率を示しているので、驚いている。

こういうことをこの経済構造に関連して、書いておきたい。1. この「法人企業」の内容は何か。2. なぜこの「法人企業」が経済社会の中心になるのか。3. 商業世界の性質。4. それ以外に何が「流通」するのか。5. この世が「あの世」化しようとしている経済社会。

この「法人企業」の内容。ずばり、今の日本であれば、「東証第1部上場企業」を中心とする企業社会と考えてよかろう。そうすれば「第2問、なぜこの法人企業が経済社会の中心なのか」は愚問となる。現にこのような「法人企業」が、自他共に認める日本の経済社会の中心であろう。なぜかって。ここが現在の「生産・流通・分配・生産的消費」の、いってみれば独占者であろう。国民的消費の提供者であろう。大所高所からみて、そうではありませんか。

商業世界は、三種類ある。1. 商品A、生産要素市場、あるいはたんに「要素市場」と称する。法人企業が国民から「労働」および「土地」という生産要素を買い入れる(内容的には借り入れる)市場ということになる。(要素市場の名でひとつに括るのは、乱暴だとは思いますよ。)2. 商品B、生活資料およびサービスの販売市場。なにしろ郊外にひしめく大手スーパーにすっかり牛耳られている感があります。パパ・ママ・ストアなど、いまや、探すほうがたいへんだ。「ご近所」といったって、あるのはもっぱら大手の「コンビニ」でしょ。屋台のおでんやだの、焼き芋屋だのですら、そうどこにでもありはしない。「サービスの販売?」と奇異に思われるかもしれないが、いまや各家庭が、大手企業の雇用する臨時雇いの人々の大群の「サービスを買っている」んじゃありませんか。代金は会社に払うので、その方々の手には直接は渡らないんですけどね。人々はいまでは自分達の「サービス」を直接(買うのではなくて)自分達で利用することすらしにくいのです。

この中で、中心になるのは、3の商品Cの市場、です。法人企業どうしが生産設備や原材料を売買する市場です。「卸売り市場」とか「卸売り物価」とかいうのは、この市場を中心にします。従来であれば、ここが、商業手形の流通する世界で、商売の中心になっていました。日本銀行が「健全な通貨」を発行する場合にも、商業手形の世の中の発行量・流通量を基準にしていましたものね。(商業手形が企業社会の大動脈であった時代は徐々に、1960年代ごろでしょうか、しぼんできて、別のものに席を譲ってゆきます。まー、これを「企業間信用」と呼ぶのなら、企業間信用が急になくなりはしませんけどね。ただ、商業手形という形式をとらなくなった、というしかない。技術的には、直接の口座振替で法人企業が決済するようになった、といっておきましょう。)

この商業手形全盛時代というのは、それだけ個人資本家がまだ勢力をもっていた時代、ということになります。いま「個人資本家」はどうなったのか。これまた当代には、名目上は「法人企業」になっている場合がほとんどなので、ややこしくなります。しかしこれまた自他共にほんとうの法人企業などとは誰も考えていないのも確かです。たとえば、青色申告企業のうち全国で60パーセントだか70パーセントだかが、常時赤字企業だというのだが、これがまともな「法人企業」でしょうか。

なにしろこの商業手形世界というのは、従来の経済社会の秩序の中心でしたので、当代の社会の性質を観察するためにも、当代との丁寧な比較が欠かせないのです。それに日本国民の多くが、長い年月を掛けて生きてきたから、その都度の自分の人生の知恵の経過を経験している。いきなり当代の、そしてまったく当代にしか通用しない常識で語られても、わけがわからないのです。ゆっくりと主要な「経過」を入れて語れば、話の要点がすぐにわかります。