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「国語こそ最強の教養」(中央公論2026年11月号特集)コメント第6回
この第6回は、(3) 作文教育が教える日本の「論理」 感想文から多元的思考へ。(渡邉雅子氏)
1. <論理>の衝突、文化の衝突
論理学の論理であれば、事柄には正か誤しかない。しかし行動を導く<論理>であれば、それ は社会的合意というレトリックを含むものであり、このような<論理>は、その背景とする文化が異なれば、当然にそのありようが異なってくる。
2. 文化によって異なる<論理>
日本人が文章を書く場合に事とする「起承転結」という論法は、米国人が文章で主張する際の「根拠から帰結(主張するところ)」という論法と、相容れない。(今の米国人は、パラグラフ・ライティングといって、文章の冒頭に帰結を置き、そのあとに根拠を述べるようになっている。)米国人には、「転」というありようが、文章の合理性(合目的性)を欠いているように受け取れる。しかし、このような彼我の文章の相違の根本には、たんに合理性ではなく、独特のレトリック(社会的合意を含める)があるように思われる。(このような論理を、氏は<論理>と呼ぶ。)
実は、たとえばフランス人にはフランス的<論理>があり、イラン人にはイラン的<論理>があるのだ。世界の諸国民は、その依って立つ文化によって、違う<論理>の言葉を用いているのだ。
3. 社会を構成する四つの<論理>
文化によるこのようなレトリックの違いを念頭に置いて、社会の<論理>は四種類の類型に区分されよう。詳しくは氏の文章自体を参照のこと。
4. 近代の矛盾を解決する日本の<論理>
「ポスト近代」の今、世界の人類は心を合わせて行動しないと、世界に差し迫る危機は免れがたい。
この状況に際して、日本式の<論理>、いわば「思いやりの論法」は、世界人類を救うために必須の使命を帯びた<論理>ではなかろうか。この日本式<論理>の主張については、氏の文章自体を参照のこと。
5. AI時代に不可欠な<多元的思考>
今や仕事は圧倒的にAIが行うものというAI時代で、人類の使命は「答えを出すこと(それは圧倒的にAIが行っている)」ではなくて、「提示された答えを評価・判断する」ことである、とされている。
AIの仕事に対して、人類が「評価・判断」する際の事情に合わせて、前記四つの<論理>の中のどれを、その都度、選ぶのが必要なのか。そういう意味での<多元的思考>が、いうなれば一つの型にこだわらないという<多元的思考>が、「ポスト近代」の今、不可欠のものとなっている。
私には、氏のこの主張は、文と文のつながりに飛躍の多い文体のように思えます。ご趣旨はよくわかる。しかし欧米人はまず、この文章を受け入れないでしょうね。「理解」はできるが、同意はできないでしょう。なお、この「理解」は、マックス・ウエーバーの言う「理解」という特殊の意味合いのものです。
日本の作文教育に氏が与えている評価は、これまた飛躍の多いもののように思います。戦前ですが、「綴り方教室」のような教育現場の運動があったことは黙殺しています。
戦前の型にはまったような作文を書かされた作文教育から、戦後は、作文に際して指示を求められた教師は、「事実をありのままに書きなさい」、「感じた通りのことを書きなさい」という短い指示しか与えないようになったことを、無視しています。