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2026-10-28 15:51:00

「国語こそ最後の教養」(中央公論2026年11月号特集)コメント第4回

この第4回は、(6) 「正誤」の枠を外して、日本語の変化を味わう(飯間浩明氏) です。

主題がはっきりしているから、たんに私の感想を述べる、と言うことにする。

ことばの誤用ということが、最近よく世間の話題となる。しかし飯間氏は、ことばの変化は頻繁に起こっており、「変化した」から「間違っている」と決めつける必要はない、という。現に国語の教科書をていねいに読んでみれば、そのような「ことばの変化」の実例がよくみられる、という。そして、ことばを使う人が自分の責任で判断して使っているのなら、それでいいのではないか、と飯間氏はいう。

私には、この判断はなにか少しあいまいな気もするが、そのように「変化したことば」を使われた相手も納得しているのなら、それでいいのではなかろうか。事柄の相対化が多いのは、今の時代の特徴なのだろうか。

 今日の朝日新聞で、11ページに出てくる次の記事では、大いに考えさせられた。時代が「生成AI絶対の時代」に入ってゆきそうな予感がする今日この頃だが、「生成AI絶対」をむしろ相対化することを、現在の人類史の課題とすべきではなかろうか。

10/28 朝日新聞 11ページ 記事 「AIが起こす、寝ているバグ 幸福なIT黎明期の終わり(神里達博氏)」 参照のこと。