インフォメーション
AIと人類のせめぎあいに、どういう立場で、立ち向かうのか。
超難問と承知しながら、しかしいま取り組むべき緊急の課題と思います。
ここに自分の「感想」だけ述べておきましょう。
人類の歴史は、「火の使用、道具の発明、言語の使用」から、「有史時代」として始まる、とされています。「新人」と言われる「現世人類すなわちホモ・サピエンス」の時代が、こうして始まるとされています。
他方、地質学上の地球の歴史というものがあって、その地質学上の時代でいうと、旧石器時代の間に「現世人類すなわちホモ・サピエンス」が現れる、とされています。
しかし「火の使用、道具の発明、言語の使用」は、それら三つの要因がどういう内訳で、どの場所で、いつから、ということは、最近考古学上かなり具体的に知られるようになってきましたが、考古学上の把握と、人類史としての把握とが、一般に相当具体的に認識されているというわけではないようです。(かくいう私のこういう議論自体が、どれほど客観性や合理性やを備えているかということ自体が、それほど自信をもって言っているのではありません。)
私は、端的に、「言語の使用」のありようを基準にするという、ホモ・サピエンスの歴史の成り立ちが、そもそもの始まりで、大きな亀裂が入っていると考えます。
「言語の使用(話し言葉の使用)」を永らく続けてきた人類が、「文字を発明し、文字を使用」することによって「言語を使用する」人類になることで、人類史は一段と新しい時代に入った、と考えます。「言語の使用」の開始を、このように二段階に亘ったと考えるところが、大事です。そしてここに大きな反省が生じるのです。従来の常識は、「言語の使用」ということを、「文字の使用」とあまりにも同一視しすぎていて、そこに従来の常識の大きな欠点があったと考えるわけです。
「文字の使用」に続く長い人類史は、「それ以前」の「文字のなかった・言語社会」の独特のありようを、従来軽視しすぎていた、と考えます。
そんな馬鹿な話があるものか。人知を尽くした議論が、そんなうかつなことをするものか、とお考えでしょうか。たとえば、最近日本でも高名になったハラリ氏『ホモ・サピエンス全史』をご覧になるがよい。この大変に難しく、大変に徹底した、前代未聞の(ある意味で、優れた)人類史は、人類史を「文字の使用・その文字による物語で作り上げてきた社会」の歴史として、世界史も各国史も、見ているじゃありませんか。全巻の終わりの方になってくると、「 このようにして、いま世界を支配している者には、支配に値する客観的強さがあって、支配しているのだ」という話になります。であるからして、この議論が、現代のアメリカの超エリートたちの共感を呼んだり、中東世界を支配しようとするイスラエルの人々の共感も呼ぶわけですよ。
私はAIとは、この「文字を使用する社会・物語で作り上げた社会の発展した極み」に、存在しようとするものだと思います。このAIの横暴に対する人類の抵抗は、はっきり言ってたいへんに歩の悪い戦闘で、それに勝ち抜ける自信など、私にあるはずがありません。
ただひとつ。「文字を使用しない」社会の中に、AIの極端を「たしなめる」ポイントがあるのではなかろうか。そう思うのですよ。
この「抵抗」が、現に、どういうところにみられるか。これは気を付けて観察していると、多岐にわたって、たくさんあります。まず気がついたところから、見極めてゆくことです。
ただ、その際、同士討ちしないようにしましょう。いかが?(同士討ちになりそうになったら、気を付けよう。今私がにわかにあちこち引用しないのは、「同士討ちの懸念がある」からです。)だから大目的だけ、まず明瞭にしているのです。同感してくださったら、あなたも「AIをたしなめる」同士になってください。
」