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10/5 8:00 FRIDAY 配信 「ルポ・民泊に侵食される街 8年間で施設数は20倍...規制強化でも業者は丸投げ!」//
当サイトのように、いま「AIと人類のせめぎあい」を、議論の課題としては最大の懸案として取り組もうと発言していることを考えれば、この問題はそれ自体興味深いとしても、「論理レベル」がかみ合わぬ。AI問題レベルに引き直すと、いま、「土地の私有制を根本的に考えるとき」という気がする。多くが気が付いているとおり、いま不動産はとうとうと「動産化」の方向を示している。なぜかと言うと、AI化が急激に進めば、土地の登記、建物の登記の徹底デジタル化が進んで、その結果「不動産」がひろく「動産」としていとも容易に経済取引の対象になってゆくだろうからである。いま「現実経済」にたいする「金融経済」の肥大化・絶対化が極端に進んでいるが(GDPというものをいまや単純に庶民の生活水準を示すものとして考える人は一人もいない)、その傾向が「不動産の動産化」で、馬車馬のように進むと懸念されるのである。/土地を私有財産の対象としてでなく、公共物と規定するような体制はあり得ないかどうか、考える、おそらく最後の機会だ。人類が以前こういうことを考えた最後の時は、19世紀から20世紀に時代が向かっていたころ、従来「生産の三要素」として「土地、資本、労働」と考えていたところを「資本、労働」の二元性で考える方向が強まり(たとえば、生産関数を考えるとき、土地は入ってこない)、その際「土地」を擁する特権階級である「地主」を、もはやあえて支配階級としない気風が漂った。それは裏返せば、「土地」を「私有する商品」とは考えず、社会の共有物、公共財産とする思想である。まあ、この思考は、当時発展しなかったけど、歴史的にはそういうことを考える機会であった。/
当サイトとしては、だいぶ以前に、西欧諸国の実例を引いて、西欧諸国では大都会の居住地が、「住民が求めてもますます希少になってゆく有様」を述べて、警鐘を鳴らした。日本の未来にすぐ現れるぞとしてね。当時誰一人そういう話に興味を持ってくれなかった。/
普通の住民の居住地のほうは、大丈夫ですかい?