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2016-06-23 01:34:00
今週号のTIME誌が、6月22日に配達されて来た。(建前では2016年6月27日号だが、早く配達される。) その20ページにあるWhy the Brits are poised to take a risk and leave the European Union という題の記事を一読して、私は驚いた。なんとこの基本的内容が、前回私がここに書いた「英国、EU離脱か、という話題」という文章と、同じなのである。この文の筆者は、Frank Luntz と言って、「ニュース・アナリスト」で、「CBSとFOXの寄稿者」というれっきとしたお方だ。 私が前回書いた文章は、日本で大概のメディアが英国のEU脱退の話題について書いている調子とはずいぶん違っていた。どういうことかというと、私は、英国のEU離脱を「首都の金融的経済に対する地方の国民的経済の批判」ととらえ、このような対立は実は英国だけの話ではなく、現在の欧米日に共通する問題点だと捉えているのである。そしてまさにこの点で、今回のTIME誌の記事は、私とまったく同じ基調で書かれているのだ。 もちろん相手が私の記事をまねたとかそういうことではない。この記事の筆者は相当の国際的見識をもった人物で、私もたまたま同じ見識を持ちえたというだけのことである。 そしてこの人の記事が一歩突っ込んでいるので、その突っ込みを紹介しようではないか。この人の書くところでは、英国の国民諸氏はそれぞれこのように発想するのだろうという。 第1. 日常生活のレベルでの「単なるサバイバル」。「私は毎日の生活費を賄って、その上にいくらか貯金をのこせるだろうか」と自問し、「EUというのは政治家たちや大きな事業家たちにはふさわしいのかもしれないが、普通の納税者・国民にはあまり意味がない」と自答する。 第2. 世代的なレベルでの「単なるサバイバル」。「私が子供たちの年齢で得たのと同等の機会が得られるだろうか」と自問し、「欧州大陸の勢いが傾いているのだから、そのEUに依存するのは沈む船に賭けるようなものではないか」と自答する。 第3. 社会的なサービスのレベルでの「単なるサバイバル」。「現在のままの政治は、国民の年金や便益や社会保険をどうするのだろうか」と自問し、「移民と難民の欧州大陸への流入に当面して、英国民は、もうたくさんだ、と叫んでいるのだ」と自答する。 そして、「大概のエコノミストは英国のEU残留に賛成している。しかし英国の選挙民は言い返す。そんな言葉は信じやしないぞ。われわれは君らが日々の生活について述べることに何の便益も感じはしない」と。 そしてこういう言葉で結ばれている。「よしんば今回の国民投票が存続となっても、英国民が政府に感じる不満はもっとおおきくなってゆくだろう」と。また、「英国のこの対立、首都に代表されるグローバル経済と地方に代表される国民経済の対立という世界的構図は、今後とも続くであろうと。」 皆さんの書架にもうTIME誌は届いているはずなので、その20ページをよくごらんなさいな。 私が思うには、この問題についての日本の大概のメディアの論調は、「英国の政治家と大きな事業家側の立場」に立っていて、「国民経済の側」をあまりみていません。それもそのはず、日本の大企業でロンドンおよびその付近に進出している者は当然に英国がEUに加盟していることを利益としているわけで、その点では英国の大きな事業家と同じ側に立っているわけです。  
2016-06-18 20:50:00
2016年6月23日に、英国で、EU離脱か否かという国民投票が行われる予定である由。 もし離脱ということになれば、近年にない欧州政治上の危機となるだろうと、いろいろのブログに書かれている。 私がここに強調する論点は、この英国政治を両断する事態の背景に、英国の首都ロンドン〈とくにシテイ〉が代表する金融利益と、英国の地方の国民的経済との間に、大きな断層があり、この断層の深さが最近ますます広がってきたという事情である。 このような首都に代表される極度に「金融的」な経済と、地方の経済生活の断層という「対立」は、多少程度の差はあっても広く欧米日に共通に存在していて、この構図が「1パーセントの人口が世界の資産の半分を握る」という極端な貧富の差を世界中に生んでいることである。 この対立が極度に鋭敏に、政治的に、英国において現れていて、それが表面の現象では英国がEUにとどまるか否かという争点になっているようだ。 英国のEU離脱派が当面唱えているのは、難民受け入れの拒絶であり、英国がEUの一国であれば規定上拒絶できない難民受け入れを断るためにEUから離脱せよという申し立てになっている。〈この一点にいまのところ政治的イシューが集中しているので、あるいは国民投票直前に英国首相が急きょEU首脳と会談して、英国の難民受け入れを「しばらく」事実上凍結するという取引をし、それと引き換えに国民投票を延期するのではないか、とも観測されている。〉 しかし英国の首都と地方の対立の根は深く、たとえそのような一時逃れをしても、問題は解決しそうもなかろう。 これはとってつけたような危機ではなく、本来的危機なのだ。 むろんもしまともに離脱可否の投票が行われて離脱となれば、めったにない危機が現れるだろう。 しかしいま英国の首都に見られるような過度に金融化された経済のありように、まじめな反省を加えようとしないのでは、そのほうがよほどの危機であろう。
2016-06-17 23:18:00
「英語の学び方」といっても、前々回のような、ハーバード大学で講義をするような話ではなくて、私たちが民泊の亭主として海外からお客さんを招いて宿泊させる場合のコミュニケーションもまた「英語」であろう。身近で日常的な英語コミュニケーションに役立つ学習が当然にあってよい。ここに書く「ジャブの冒険」も、そういう「日常の英語」の足しにならないかと思うのである。 昨日テレビを見ていたら、南アフリカ産、アニメ動画「ジャブの冒険」が紹介されていた。簡単な英語。ケープタウンの9歳の男の子が主役の「声優」を務めている。こういう動画に親しめば、おのずと海外の人々とのコミュニケーションの素地になる。 なおこのアニメの成立には背景があった。40年前に南アフリカで、白人の言葉で初等教育が強制されていることに反発する暴動が起こり、それがたいへん無残な弾圧のされ方をした。20年前に南アフリカは独立することになって「アバルトヘイト」という差別はなくなった。たが、人種的貧富の差は残存し今日に至っていると。このアニメ動画はいまだに初等教育が経済的にたいへんな現地の事情を背景として、そのような環境で元気に育つ少年をテーマにしている。 それにしてもコミュニケーションのために英語がこのように現に言語となっていることには、複雑な思いを禁じ得ない。 英語会話といっても、民泊の亭主に必要なのは、かならずしも米英の英語ではない。オーストラリアであろうが、カナダであろうが、インドであろうが、フィリピンであろうが、この話のように南アフリカであろうが、世界で現に話されている英語である。そのことを忘れてはなるまい。 2016年6月17日・金曜日・今日の札幌は雨。明日も雨気味か。
2016-06-16 13:34:00
2016年6月16日・木曜日・札幌の天候は、曇り、10度ちょっとという寒さ、午後から明日午前中まで大雨という天気予報。今日のニュースは、東京都知事舛添氏の辞任、米国でイチローの新記録、利根川水系の諸都市に夏季渇水の可能性など。札幌にとって今日から明日まで大雨なんていうのは、大ニュース。めったにそうはならないので。札幌には台風すらほとんど来ないので。 この時期の本州では「カビの発生」が歳時記のようなものだが、札幌には梅雨がないので、カビの害も少ない。ただ、札幌の場合、カビはむしろ冬季に警戒される。冬季に家屋内に結露という現象が起こることに伴う。冬季に結露が生じた押入れの中をほおっておくと、洋服なぞぼろぼろに腐ってしまう。 ところでテレビ「ためしてがってん カビ退治」という番組を見ていたら、耳寄りのことを教わった。 この番組によると、カビは、65度の温度のシャワーの湯を90秒浴びせれば、なくなるという。 ただ、表面の黒いくすみはとれないから、後でくすみだけ落としておけばよい。 そして普段は、50度のシャワーを50秒浴びせればよい、という。 〈ヘヤドライヤーで熱気を当てればどうかとも思うが、そういうことは放送していなかった。〉 そもそもカビを落とそうとして盛んにこすったりするのが、「じつによくない」そうで、表面にできたひっかき傷からカビが内部にしみこんで根を張ってしまって、どうしようもなくなるのだと。 それから下手にいろいろな液体や水分や〈薄めた酢とか〉をカビにこすりつけるのが、カビに水分と栄養分を与えてしまってちっとも効果がないというのである。 ほんとうにこれでいいのかどうか、あとは実践あるのみだなー。 当アイランドコーポにも、壁にカビがついてどうしようもなくなった部屋が一つある。この方法で取り組んでみようかと思う。
2016-06-15 22:18:00
北川智子さんの『世界基準で夢をかなえる私の勉強法』幻冬舎、2013年という本を手に入れた。 ハーバード大学で教鞭をとり、その経験を材料にして『ハーバード白熱日本史教室』新潮新書を出版している人である。 なぜここに紹介する気になったのかというと、私にはこの人の言っていることがまったく道理にかなっているように思われたからだ。 そもそも私はこの本を、あるブックオフで、たった99円で手に入れた。「並みの能力」と自分で言っている若い日本の女性が、カナダ、米国と学習の階段を「素直に」駆け上っていって、ついにハーバード大学で日本史の講義をしたり、ケンブリッジ大学で数学史の研究をしたりするようになったという「プロセス」をこの本は淡々と描いているのだが、私がこの本を買うまでの間に、この本はおそらく多くの「野心的」で「誇り高い」日本人の若い女性たちの目に留まったであろうに、誰もこの本を買おうとしなかった〈ということに結果としてなる〉ことが、私には不思議だった。 私も過去にいささか苦労した人間なので、この本に書いてあることの真偽を見分ける能力をもっている。 私が思うには、この女性が成功の道を歩むことになった土台は、この人が「環境」に対して世にも素直であったことではないか。〈多くの人間は、この素直さというものを持てないために、結局うまくゆかないのだ。〉この人は学習の出発点ではお定まりの「カナダでの短期ホームスティ」だった。ここで彼女はホームスティしている一家のベビーシッター兼皿洗いのような立場に〈自然に〉なり、黙々とその役を果たすのであった。この家の3歳の男の子スティーブンに密着して子守をしながら、彼女はこの3歳の子供と同じ言語環境の中で生きようとするのである。私の考えでは、およそあらゆる英語学習の中でこれほどすさまじく、かつ効果的な、「本当の英語」の体験方法はないと思う。彼女はやがてこの家から語学学校に通学することになるのだが、「3歳の子供と一緒に生きた言語感覚」が彼女を支えているので、外見は同じように語学学校に在学していても、学習内容はまったく抜本的に違うものになるだろう。 この「学習第一歩」の素晴らしさが、あとは自然に彼女のカナダでの学習の階段を押し上げてゆく。カナダの大学。米国の大学。素直にのぼってゆけば彼女のように道が展開してゆくのは少しも不思議ではない。むこうさんの大学の教育課程は、素直にかつ熱心に学ぶ者をするすると押し上げるような合理性を持っている。 残念ながら日本の社会の学校制度は、このような「合理性」を持っていない。かろうじて個人的に優秀な指導者に巡り合った者だけが、例外的に「合理的に」自分の能力を発展させるようだ。あちらさんの大学の場合、もちろん多くの優秀な指導者がその大学にいるが、そのような人との出会いは向こうではある種システマテックで、制度的な仕組みの中でうまく行われる。「個人が個人を探す」無理はない。この彼女だって、必要な人とはそのようにして自然に出会っている。 なんということもない者が、素直でまじめであれば、するすると階段を上ってゆくのが、日本の読者にはきっと手品のように見えるかもしれない。ぜんぜんそんなことはありませんよ。彼女が淡々と描いているとおりです。 さてせめてこれを読んでいる人に、今の日本の環境で、「ベビーシッターまがいのことをして3歳の子供の言語環境に学んだ」というところを、なにかずっとわかりやすい、かつ取りつきやすい方法で学習できないか、と思う人はいませんか。 ひとつ、おすすめしよう。いまインターネットの上で、アメリカの大学の通信教育を受けられるようになっていますね。もっともいきなり聞いたってわかりゃしない。先生は相当に早く話しているし、話が分かるには先生が指定している本ぐらい読んでおかなければならないが、そういう本はかなり高価で、それを限られた時間に読むのは苦難の業だろう。受講するとなれば先生にレポートを書いたりするのだが、まともな英文を数枚書くなどとても大変な話と思うでしょう。〈つまり急に取りついても無理だということです。〉しかしなにも大学レベルの授業でなくていいでしょ。どうですか、小学校、中学校、高等学校程度では。そんなものすでに自分は卒業しているから「改めて入る必要はない」と思うか。私がいうのは、「英語の学習で」やりなさいというのだ。そんな手頃の、費用もかからないものがあるのかというと、これがあるのです。kAHN'S ACADEMYというのがあるのです。インド系アメリカ人の青年が無料でこの動画を見せてくれます。これを小学校1年生レベルのものから聞いたらいいでしょう。このインド系の青年の発音はちょっと癖があるが、立派な英語には違いない。その動画で言っている内容をあなたがはっきりつかむまで、その動画を熱心に何度でも聞くがよい。 限りなく素直に、ね。 このカーンの学校で、中学レベル、高校レベルと上がってきたころには、あなたの英語力は、とうていネイテイブの日本人とは思えないほどのものになっているのはうけあいです。そうすりゃ、あとはなんでも手づかみできる。