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新聞もテレビもこぞってもっぱら「国家も日本社会も大丈夫」大声を挙げている、という感じ。列島全体に明らかに雨害が蔓延しているが、その様相を国民個人が知ろうとすれば、いま手段足りうるのはネットのみのようだ。ネットをずうっと見てゆくと、そこに「いまどうなっているか」を窺い知る情報が大量に、絶えず、提示されている。ネットでは「国家も社会も大丈夫」と空元気を付けるみえすいた仕業はさすがに国家も社会もやりにくいので。/別にここに今の全国の様相を綴るまでもなかろう。/以前からのつながりで、スポニチ紙にだけ触れておく。今日のスポニチ紙はなけなしの社会欄を使って、雨害全国的様相を記事にして提示している。(日本ハムについて、HBCのラジオ欄への注目を記事にしてもいる。災害の多い時期にはラジオに注目するのは大事な知恵だものね。新聞もテレビもなしになる可能性がいま全国各地にあるしね。)/実は私は、いま村上春樹氏『アンダーグラウンド』講談社文庫、1999年を読んでいる。このオウムの事件があった時、私はたまたまオーストラリアにいて、たぶん日本からの旅行者からでも事件を聞いて、当時はなはだ「奇異」の思いをした。東京の地下鉄に何者かがサリンをまいて大量の犠牲者が出たと聞いて、「そんな不思議な話が現実に日本に起こった」というのが全然信用できなかった。この知らせはなにかの間違いではないかと正直、思った。そもそもオウムなどという妙な宗教団体自体、従来ほとんど念頭に置いていなかった。(いま回顧すると、戦後日本にどんどんひろがった奇妙な宗教的団体の蔓延という社会相が、国民的な真剣な反省によって、ようやく社会的にだんだん微細な現象に・つまり今のように・なってゆくのに、それからさらに30年はかかっている。しかしその後遺症はがんのように日本社会に祟り続けている。)村上春樹氏が作家生命を賭けて取り組まれた事業の記録がここにあるようだ。事件当時私は現場である日本にいなかった・問題を考えるとっかかりがなかったという事情にあった。たとえ遅ればせでもいま多少の私なりの反省をしてみたい。(ものごとにおそすぎることはあるまい。)日本社会が考えるべき時に考える努力を怠るとその結果が何十年にもわたる「知的怠慢の報い」として日本社会に祟ると思う。今の全国的雨禍、軽視すると、日本社会の大事になろう。国土強靭化という課題だ。