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2026-01-10 08:46:00

1/9 読売新聞 オンライン 配信 「高市首相が衆院解散を検討 23日通常国会の冒頭に...2月上中旬に投開票公算」/目の前の2026年1月23日、通常国会開催冒頭に、首相の施政方針演説なしに、直ちに衆議院解散・衆議院総選挙を号令することにしようという。そうすると2月中に投票・開票が行われることになる。在任わずか数か月で、仰天の企画である。/たいへんにうがった解釈をすれば、この内閣の施策姿勢はとうてい盤石のものには程遠く、この政治経済姿勢は現実論としては1年ももつまい。国際的には全面的に依存しているトランプ米国の体制は、これがおそるべき大噴火口の上にある様相で、いつ意外の大転落劇が起こるか予想を許さない。/いま1か月でも年月を過ごす間が危険で、現在日本の株式市場も「ご祝儀相場」の最中だし、高市氏の評判も現在悪くはない。一刻も早く、今のうちに、起死回生の大ばくちをうとうということか。/めでたくうまくゆけば、衆院過半数をとり、一挙に憲法改正まで突き進めるのではないか。乾坤一擲というわけだな。

1/10 東洋経済 オンライン 小畑績教授の文章 配信 「資本主義は頂点に達し、滅亡の始まりを迎えた」。これは最近配信されていた同教授の「2026年中にすべてが変わる。資本主義は滅ぼされる」という仰天の記事が、この正月3日間にトランプ米国のベネズエラ侵攻・保護国化という事態を受けて、ますます確実となったという見解である。/「資本主義も、民主主義も、そして国民国家という体制も、すべて終焉に向かう」という見立てである。これが「正月の正夢」ということに終わるかどうか、まじめに考えていい事だろう。東洋経済はジャーナリズム的には、株式市況の冷静な観察者しての定評があるが、「ご祝儀で浮かれていると、よもやの大暴落があるやもれぬ」という「警世」と、おうけとりになればよろしい。/この小畑先生の文章につけられた47件のツイート記事の全体が、まことに面白い。「読者は素人ばかりではないぞ」とか、「資本主義に変われるものはないぞ(アメリカ型資本主義かダメだというのならわからぬでもないが)」とか、「この文章に事実はひとつもない」とか、「現在の政治経済に役に立つ献策をしたらどうだ」とか、「筆者は大蔵省の共産主義的思想を擁護している」とか、「共産主義はソ連が崩壊した以上、まったく一顧だに値しない思想だ」とか、「トランプ米国はこれから中国をつぶしにかかるだろうから、日本はその米国の同盟者として、米国の後をついてゆきさえすればよい」とか、それ自体の是非でなく、言辞の気分を、小畑教授の文章に対する反響として受け止めればよい。(まえの高市氏の乾坤一擲の冒険に対しては、なんと7835通ものツイートがついていた。)//私、一言、マルクス主義的付言を、小畑先生の文章につけておきたい。記念のために。マルクスの『経済学批判』(岩波文庫青帯で出ている)は、『資本論』の序論と言ってもよいほど、マルクス経済学の基本的方法にかかわる文章をつらねているが、そのなかでこういうことを言っている。/マルクスは19世紀に目の前にある経済学の定説である「国民経済学」(古典派経済学とも呼ばれる)について、国民経済学が議論の前提とする「経済」すなわち人類の生存のための、自然にたいする人間同士の関係は、「生産---流通--消費」というシェーマに要約される。(なお、この消費のところを、消費が生産につながる・つまり再生産としておかないと、シェーマが繰り返すことを表現できないという)だから、「生産---流通---消費(再生産)」。このシェーマを国民経済学は当面の研究対象である資本主義経済の母体になるシェーマと考えているし、マルクスもそれを踏襲しているわけである。(ただマルクス自身が明瞭にしているように、資本主義的生産様式以前の時代は、共同体規制に強く従属していたから、上記のシェーマ中で「流通」のところは「配給」とでもしておくほかない。)さて打って変わって、21世紀に入ると、資本主義もIT時代という「新産業」を迎え、GAFAMによる「プラットホーム」というありようがGAFAMの富を支える基本的システムとなつた。この「プラットホーム」では、(たとえばグーグルをとるとわかりやすいが)「消費者」である人民大衆は、その「消費反応」をすっかり宿主であるグーグルにゆだねることになる(多くの場合検索自体は無料だが)。したがって「消費者」(検索者)は「消費活動」と同時に「生産活動」(むしろ再生産活動というべきだが)を行っていて、しかしその成果はすべて宿主であるグーグルに属している。このだれでも知っているメカニズムの中で、従来は資本主義的生産様式の不動の前提とされていた「生産--流通--消費(再生産)」というシェーマが変化していて、「生産・消費(再生産)」となっている。(流通が消えていることにご注意) だから現在の資本主義的生産様式について、その基本的な研究スケジュールを、マルクス『資本論』そのままに、「商品---貨幣---資本」というようにたどるのは、実は一考を要するのだ。「生産・消費」なら、貨幣はどこに必要なの?そもそもマルクスが想定したような「商品」が、いまどこに、どの程度、最主要なものとして、あるかな。//そういうわけで、いまだれかが「資本主義はなくなるぞ」と叫んでも、特に不思議はないのですよ。/それで、アフター資本主義的生産様式ですか?すくなくともそれは、資本主義的生産様式とはまつたく異なる「生産様式」でしょうな。