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2026-01-12 09:31:00

一方で地球を話題にしながら、他方で太古以来の諸宗教や諸哲学の参入を度外視することは難しかろう。(この方面の議論のほうが大変だろうと、同情されるやもしれぬ。この方面にけじめをつけなければならないのが、宿命である。)そもそも地質学からして、17世紀段階ではキリスト教の旧約聖書に出てくる神話である「ノアの洪水」を、まるで地質学上の疑うべからざる史実として、「洪積世」を考えているわけだ。この「洪」は「ノアの洪水」の「洪」なのだ。やっと20世紀の半ば過ぎに、「洪積世」は改称した。まあ氷河が溶けて地球に大洪水を起こしたのは事実だろうけど。橄欖の葉を咥えた鳥がノアのところに飛んできたのは、サイエンス・フィクションとして十分に想像できよう。/地理学は神話と現実の橋渡しを画期的にうまく果たしてきたようだ。「地球のお話」は人間には「大地の意義」であって、宗教・哲学はこぞって宗旨に盛るしかない。地球が自然科学的存在として認識されてゆくためには、太古にはそれは「お空の話」として「客体化」されるしかなかった。それが太古の「天文学」であろう。地理学史の本をたどってゆけば、古代から中世、近代にかけて、人類の先覚者たちは、「お空の法則」を地上の物理学の基本的認識に読み替えていったのだとわかる。(かれらは今の我々と同じ悩みをしのぎながら世をわたった。宗教と哲学は剛力を誇っていたから、うまくしのがないとぶち殺される危険があった)そしてやっとのこと、ニュートンの物理学が成立した(いま古典物理学なぞと批評するが、この生みの苦しみを思いやるがよい)。そういうわけで、地理学史は、まさにこの宗教と形而上学との対応を全身に浴びた太古以来の科学発達史である。さしあたりこの地理学の経過に学べばいいと思うよ。小中学、大学生にも、そう説得していいとおもうが。どうだろう。『み空の花を星と言い、我が世の星を花と言う(逆だったかな)」の境地だよ。今の世も、銀河を観察してその時空を察し、顧みて地球の限りある人生を思っている。