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1/3 朝日新聞の天声人語は、正月の不破哲三氏の死去追悼の意味もあって、不破氏と中国共産党の20世紀の交流関係を回顧し、20世紀末に「資本主義体制が地球環境を破壊しつつある暴挙を阻止する必要がある」という「21世紀にも通じる共産主義の大義が展望できた」という具合に、不破氏回顧に託して述べた。/なおこの「資本主義体制が人類の生存のための不可欠の地球環境を破壊しつつある」という、言ってみれば学理は、近年、斎藤幸平氏の一連の著書で非常な迫力を以って論じられている。/天声人語は共産党の「民主集中制」という「党内討論の原則」が、党内の言論独裁という弊害を反省して、もうやめたらよかろうと忠告している。/それにしても共産党の成立やその運営は、マルクス主義そのものの全体的意味から出ているのだろうから、政治技術的にだけ共産党のありようを議論しても始まるまい。//私は、マルクス主義の出発点について、時代は再考慮・再検討を迫っていると思うので、新年に臨みこの一点だけ指摘しておきたい。/知っての通りマルクスその人がマルクス経済学を考えた出発点で、こう言っていなかったかな。「国民経済学が当然の前提としている『独立の諸個人』というものは、手放しに前提できるはずのものではない。それを支える歴史的・社会的条件が必ずあるはずだ」。今日われわれが「アングロ・サクソンの絶対的個人主義・絶対的自由主義」を再検討しようとしていることと、論理的には同様の問題提起を、マルクスは19世紀中葉に行っていた。/ただ、マルクスは、その答えを、このように示した。生産手段の私的所有により、支配者・剰余労働の搾取者と被支配者・剰余労働の被搾取者という階級対立が、人類社会に生じた。(つまり生産手段の独占的私的所有者というものが、「絶対的な個人主義・絶対的な自由主義」者の言ってみれば「理想型」である。)それにしてもこの人類史的構図は、近代資本主義時代についてはかなりわかりやすいので、マルクスの主著『資本論』で主要な論点は遺憾なく語られている。/ところが「近代以前」となると、近代を語るときの歯切れの良さは後退して、「それぞれの歴史的時代に対応するような『共同体規制』に規制された「階級関係」である」ということになる。近代以前はすべて共同体の時代だが、この共同体規制論はもっと具体化されていてよいはずだ。それにしてもそれを『資本論』同然の論法ではとうてい果たせない。せめて近代に接近しているヨーロッパ「中世・封建制時代」に限定してでもよいから、「その時代の経済学」はどういう姿か示してみたらどうだろうと、誰でも考えつきそうに思うでしょ。でも私は、それを実際にやろうとした経済史家は、お二人しか知らない。東北大学の𠮷岡昭彦先生と立教大学の松尾太郎先生だ。(もっともお二人の言うことは最初から食い違う。吉岡先生は「端緒範疇は小農民経営だ」という。松尾先生は「土地だ」という。事は、封建制から資本制への移行期論争にかかわる。)
/マックス・ウエーバーなどは、社会学的発想として、さまざまな切り口を示しているが、今回これは外そう。/人類史全体で考えれば、「共同体」というものの把握は非常に重要であろう。マルクスその人にしても、共同体の把握については死ぬまで悩んでいた。「生産手段の私的所有」なぞと言われて、それですっかりわかった気になっていたが、それで済むものだろうか。/確かにマルクス主義にも、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』という著書がある。エンゲルスの共同体論は、この議論の解決になるだろうか。//私は共産党やその民主集中制とか以上に、こう述べてきたような疑問にはるかに惹かれている。単純率直、この答えを日本共産党
のどなたか理論的権威者が明瞭にしてくだされば、民主集中してご説に従いますよ。