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12/25 朝日新聞 1-2頁に、今日は人類科学最近百年の歴史を回顧する大きな特集記事を載せている。どうやら最近の朝日新聞は、意図的に、最近1世紀程度の長期にわたる時代を、「いま反省・回顧すべき1世紀」という理解で、具体的に、さまざまの切り口を入れて、包括的に回顧しているようだ。まことに結構な企画だと思う。めっぽう抽象的な内容ばかりあげつらうよりはよほど生産的だろう。わたしのほうも、まったく個人的に、感想などを述べてこの企画を支持したいとおもう。/今日の科学百年史は、量子力学から説き起こし、量子コンピューターで結ぶという結構だ。科学の発達による人間の「賢さ」の発達が、果たして人間の「幸福」にはどの程度つながったのだろうか、という反省が軸になつているようだ。/私の反応は過去30年ぐらいの話で、1980年代に日本でもワープロの実用化ということがあった思い出がある。せっかくこのようなワープロという、それ以前のガリ版よりははるかにましな道具が実用化したのに、だから個人がそういう印刷物を作って身近の人々に配布することがはるかに手際よく、かつみばえよくできるようになつたのに、さまざまの文集を作って配布するという私人の行動は逆に少なくなったように感じられる。私は当時トスワードという東芝の優れた機械を(当時のお金で65万円したよ)せっかく買ったくせに、思いのほどは活躍させなかった悔恨の記憶がある。/今のネット当然の時代に、私はこのヤフーネットに時々書く程度にしかネットを生かしていない。/AIによる検索利用の「創造的活動」とかで、たいへんに都合のいい仕事ができるらしいとは聞き知っているが、私は自分が考える話題をさっそくAIとかに聞いて、AIがどういうまとまった、それらしい答えを出すのかということには、どういうわけかさっぱり興味が向かわない。「自分の力で考える楽しみ」を大事にしたいのである。べつに、完全にAIを排除しようとか、そういうことではない。「翻訳」なんか、使ってみてもいいとは思うよ。