インフォメーション
2025-12-24 08:39:00
12/24 朝日新聞 2頁に、大正期日本の自由教育を特集。/この日本独自の自由教育の展開という流れは、第2次大戦の終結後までも連綿としていたが、戦後日本で進学競争が激しくなり始めてから、公教育は進学熱を支える教育規律へ雪崩をうつように向かっていった、と回顧している。/私は道新と朝日を読んでいるが、(それとスポーツ新聞を)朝日新聞は最近、時代の大きな移り変わりを考えるようなさまざまの特集を、頻々と行っているようだ。今日の教育のトレンド回顧もそのような一翼だろう。「具体的」で、かつ「大局的」なので、どうやら時代の大きな転換期らしい今日、読んで考えるのにふさわしい。/それにしても、「世界観の転換」ということが、どうも今日、暗黙に求められているような気がする。/ただ、従来であれば、これを形而上学の問題、イデオロギーの問題、という具合に発想したが、求められている「世界観」はそういうものではなくて、たいへんに「現実的」なものではなかろうか。どう「現実的」かといえば? ここがよくわからない。/いま私はジョン・ノーブル・ウイルフォード、鈴木主税訳『地図を作った人びと』河出書房新社、2001年(初版1988年)を読んでいるが、これがめっぽう面白い。こういう「地理学的見地」を深く知りたいと思う。この本の末尾に「地図学仰天の現状」が語られているが、なんと新しい地図学は宇宙をどう描くかという課題を前にしているが、その宇宙は、拡大の運動をしており、北半球から観測できる銀河系の「各」銀河「達」(一万個以上あるというのだが)は、(観測可能なのは比較的に明るい「もの」だけだが、まあ千個ぐらいのものか)その地図というのは、地球上でたとえれば、緯度と経度のほかに、「奥行」があり、この奥行きはその「もの」たちの間の何億年という距離であり、しかもいまみえる「それ」は実は何億年も前のものである(光が地球に到達する時間を顧慮するわけだ)。この「現在」の銀河地図は、銀河の歴史を同時に映しているわけである。ここで言いたいことは、銀河地図が地理的意味と歴史的意味の二つの意味を持っているということだ。このように世界の地理学に、世界の地理と世界の歴史を重ねて関係させる視野をもてるなら。/私はこういう種類の世界史的・世界地理的「世界観」を考えることができたら、と夢見るのである。/ところが実際は、お寂しいよ。「世界史」というけど、いまの教科書をみると、なにやらぱらぱらな歴史の組み合わせだ。研究者をみると、日本史、東洋史、西洋史と別れているが、かりにある都市でこの三種の学会が同じ時にあったとすると、複数の学会に出席する研究者などほとんどいない。おなじく西洋史でも、時代が違い、主題が違うと、両方に興味をもつ研究者などほとんどいない。(みなたこつぼを掘っている。)地理と歴史の架け橋など、いわれるわりには、ほとんどない。ましてここに「世界」と接頭辞をふれば、ないものねだりのさいたるもの。/しかし「銀河地図」では、銀河史・銀河地理なんだよね。