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2025-12-20 08:21:00
12/20 朝日新聞 13頁 佐伯啓志 「日本版ウェルビーイング」という文章が載った。日本人は米国型の個人的幸福絶対追求という生き方にはなじまない、「日本型のウェルビーイング」を求めるのだと。ここで言わんとするウェルビーイングというハイカラな言葉の趣旨は、なんと訳したらいいのだろうかな、「福祉」というのも変だ、「処世」ということになろうが、「いい意味での処世」だろう、さすれば、「つつましい生き方」とかいうことになる。「足るを知る」なぞというのはどうだ。ご趣旨には全く賛成である。/話はかわるが、先年、ある「宗教改革記念講演」で講師は、「みなさんにウェルビーイングを勧める」として、いまの日本で個人がなんらかの宗教を信仰することが、その人のウェルビーイングになるのではないでしょうか、という結論で結んでいた。この場合は信仰を勧める言葉として使われていた。ところで佐伯さんは、米国の場合、プロテスタンティズムのありようの中に神義論というものがあって、ある人物は米国の場合だが、個人による幸福の絶対追求が「神意にかなう」という神義論だとしているという。米国人のどの部分かしらないが、そういう信仰も含めての幸福絶対追求ということがあるやもしれぬ。私は日本では、キリスト教のそういう神義論が普通に行われているとは聞いたことがないが。どなたか、あるかな。私自身は仏教徒なので、こういう議論をする資格はなさそうだ。/まあ一般的議論としてなら、ドイツの著名な社会学者マックス・ウエーバーの議論として、プロテスタンティズムが資本主義の精神となったという議論とのかかわりで、資本家の「エートス」(まあ、精神とでもいうか)への信仰のかかわりを述べているのは知っているが。