インフォメーション

2025-11-01 13:45:00
10/31 北海道新聞6頁に載った 立命館大学教授 佐野愛子先生の「日本手話による学習権」という記事は、私がこのSNSで繰り返して訴えていた「日本手話の学習権について専門家は態度を明瞭にされよ」という趣旨の問いかけに、見事に、論理的に、答えておられる。詳しくは同記事の参照を求めるが、この記事に示されたご所見は、先ごろ札幌高裁で示された「北海道立札幌聾学校で日本手話の授業を受けられなかったとして、先天性のろうの小中学生が北海道を訴えた事案」について、明快に原告の学習権を擁護する説明をなさっている。ご説明は論理的に明晰なので、専門家諸氏はこのご説明に提示されている論点に、それぞれ明快に・特に論理的に明快に・対応する意見をお述べいただけないだろうか。/ただひとつ追加して申し上げたいのは、同様の案件なら現在のアメリカ合衆国ならどう判定されるか、日本国民の参考のためにぜひご関説いただきたい。例のジョン・グラハム・ベル氏の「事績」にまつわる、歴史的経過ですよ。いうなれば、「アフター・グラハム・ベル」で、今はどういうことになっているのか、ですよ。私、これを知ったのは、半世紀前だった。
2025-11-01 09:17:00
前回(16)で述べられていた「直系家族型」という日本人の国民国家的背景に由来するところの、日本人である我々に「平等感覚が乏しい」という事情を、もっと例を挙げて書いておきたい。読んでくだされは、「ははあ、なるほど」とよくわかってくださるだろう。/私は、海外に行ったとき、同胞の日本人に会って、嫌な思いをすることが多い。懐かしく、信頼できるのに?日本語が通じるのに?・これって素晴らしいじゃないか。それはそうなのだが。お会いした相手がすぐに私に対して始めることがある。「私の身分・地位を確かめることである」(たいていの場合、自分の方はあいまいにしたままで)/「この心」はありありとわかる。「相手の身分・地位を確かめ、自分の身分・地位と引き比べて、『どちらが上位の人間か』まず確かめておかないと、そのあとのやりとりを虚心坦懐にできないからである」。/いつもどちらが上でどちらが下かを確信していないと、交際できない。初対面の同胞と会ったときにこの「習癖」が極端に前面に出るという次第だ。「上か下かわからない相手」にはおっかなびっくりになるのだ。他の民族はこれほど人見知りしないよ。これが国際的になると、相手が気が付いた時、相手の不信を招く。こう言ういきさつに、日本人の多くがナイーブなのである。
1 2 3