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1980年代。私は米国で、大学初年からパラグラフ・ライティングという授業があることを体験し、英文ソフト「ワードスター」という優れたソフトを使用していた。さて日本に帰ってみると、英文をパラグラフ単位で読み書きするという知識は(商業英語で英文ビジネスレターを書くという訓練をしている人々以外は)誰も知らない。ワードスターを使うという講習会をしたら、参加したのが在日米国人ばかりだった。(日本人にはピンとこなかったのである。)ある組織で英文ビジネスレターの講習会をパソコン室で行うことになって、組織にワードスターの購入を求めたら、その組織のコンピュータ委員会の委員長の統計学者は、「ターボパスカル」というソフトがすでに入れてあるからそれで間に合うだろうという。「ターボパスカルでは1行ずつコンピュータのプログラムを記入してゆくのには間に合うが、段落単位で書くという英文のライティングには使えませんよ」といくら説明してもわかってくれない。コンピュータのプログラムを記入することと、文章執筆では根本的にちがうのだということがこの「専門家」にはわからない。1行ずつプログラムを記入する用具はいうなれば「ライン・ライティング」である。/実は当時の日本では、1980年代に日本の国語学者が、日本文には「段落で論理的に書く」という文化か存在しなかったことを知って、日本文を段落で書くという運動を始めた学者が北大にいた。その人物に「まず英文のパラグラフ・ライティングのありようを説明し、それと比較・対照しつつ日本文を段落で書く説明をしたらいいではありませんか」と説いたが、それでは「英文も書くということを前提にしてしか説けない」と言って同意してくれなかった。/つまりはこの時の「ワードスターの立場」になれば、いいわけだ。wordはそうなっている。つまり同じソフトの上で英文も書けるのである。50年も経つと、ソフトも進化するわけだ。/別に進化というほどのことでもないか。要するに米国出来のプログラムをそのまま日本文も書けるように補足改造しただけのことだ。まあものは見様だ。/それにしても札幌のコンピュータ発達史上の悔いは、ハドソンソフトなど、当時札幌はプログラミング先進地帯のように自負していたかもしれないが、日本語ワープロソフト開発の歴史はサッポロにはなかったな。文化観に欠けたところがあったと、今なら反省しても罰はあたるまい。/当時は女子高等教育の定番として、英文タイプライターという科目があって、短大の女子卒業生が多く本州の大企業の札幌事務所に雇用されていたものだった。この訓練が女子高等教育から消滅しつつあるのに対して、短大レベルでパソコンによる英文ビジネスレター・ライティングの訓練をもってこようとしたのである。いずれは過渡的期間後、ビジネス担当者その人がワードスターのようなソフトを使って英文を書くだけのことになってゆくが。木曽のコレポン(コルレスポンデンスの略語)の愛称で知られるビジネス英文教育が小樽商大の木曽栄作先生の名で知られていたが、小樽の昭和女子短大はこのタイプライターからパソコンへという期間を体験された。同様の体験を北星学園大学と札幌学園大学が行った。/余事になるが、この商業英語は、商工会議所が毎年資格検定試験をおこなつており、この科目の教師は「商業英語担当者」として商業高校に勤務していた。この商業英語教師こそが、日本では「隠れた」英作文指導者であった。庶民の中の優れた英文の書き手はこの商業英語教師であった。普通大学の英文科は優れた英文学の権威は生み出したが、「英文の書き手」をさっぱり養成できなかった。単純な話、商業英文も英文であり、パラグラフで書くのである(もつとも、一枚のレターにほんの数パラグラフ程度だけどね)。