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2025-12-29 09:34:00
パラグラフ・ライティング(段落をひとつの単位として文章を書く態度)と、段落を論理的に厳密な単位として文章を書くのではなく、いいかげんに数行書いて、気分で、段落を変える態度(これをかりにライン・ライティングと呼んでおこう。実に日本人はこういう具合に「ほとんど行単位」で文を書く気風がある。)をいう。/あるいは日本人である人々の多くが、こういう具合に言われると、そんな馬鹿なことがあるか。我々をコケにするのかと思うかもしれない。/欧文が段落単位で論理的に書かれているのに、日本文がそうではないことを真っ先に痛感したのは、日本人国語学者である。私の思い出では、1980年代に北大文学部だったかの何某という国語学者が、「日本文を論理的に筋の通った段落を単位にして書く」という運動をお始めになった。私はその方にお会いした時に、「あなた、まず英文パラグラフ・ライティングの特徴を明示なさり、それとの比較・対照という形式をとりながらあなたの説くところを展開なさったらどうですか」とお勧めしたが、応じられなかった。「それじゃ、英文が書ける人にしか、私の教示ができないじゃないですか」とのたまう。(そりゃそうかもしれないね。当時日本の英語教育さえ、まだ一般にはパラグラフ教育はしていなかった。当時パラグラフで英文を書くというテクストを書いておられたのは、北星学園大学英文科のリチャード先生だけであった。)「段落」で書くということが、英語教師にさえ日本ではまだ「なじまれていなかった」。そもそも日本人が英文を書くということ自体が、そう話題になることではなく、内村鑑三先生や新渡戸稲造先生のように昔の北大生は書けたけどなというぐらいにしかならない(旧札幌農学校時代)。/コンピュータ上の話題に変えましょう。