インフォメーション
2025-10-29 05:17:00
『トッド人類史入門』第2章「ウクライナ戦争と西洋の没落」から、第3の話題として「日米関係」をみてみよう。/家族型からみた国民性は、日本は直系家族型のため、日本は「兄弟を不平等に扱う」文化なので、「子供たちは不平等である、人々は不平等である、諸国民は不平等である」と「自然に」考えやすい。/日本が第2次大戦で負けた時、戦後日本は、自国で伝統的だった家族型を、理念上は「封建的」と否定して、米国型「核家族」を「理想の家族モデル」のように祭り上げた。/しかし三世代同居が消えたとしても、もともとの直系家族に由来する国民的価値観は、簡単に消えるものではない。/そのことが日本人の国際感覚に濃厚な影を落としている。日本人は何事も「上下、兄弟」という関係で考えたがる。それゆえ、「日本の独立」ということは盛んに口にするが、「諸国が平等である」という気分には一向にならない。だから「アジア共栄圏」という「理念」を思っても、自然にその中で「とこが兄でどこが弟か」と発想してしまうので、この点がアジアの他の国からみてすぐみてとれるから共感してくれない。たとえばその点で、ロシアのような権威主義的な国でも、国際関係については「諸国は平等」と発想するから、奇妙なことに権威主義的な国々(父系主義的権威主義の「共同体家族型」の国々がそうであるが)のほうが国際関係では信用されることになる。非西欧ブリックス諸国が奇妙に(国益は相当に違うのに)お互い国際協調し、仮に日本が彼らと国際関係を結ぼうとしてもなかなか簡単にゆかない奇妙さもこの辺に遠因があろう。こういうかなりわかりやすい事でも、日本人の大多数は普段気が付かない。/米国の核家族型を理想のように思っても、現実の日本の家族型が簡単に変化するものではないから、この違和感は常に残る。核家族型に由来した「個人主義」の、米国流の徹底した姿(超個人主義)で、超富豪が我が物顔に行動する米国の政治・経済は、日本人には結局なじみにくいのである。/日本を目下の同盟者とする日米関係は、「目下視」されるのにはあるいは我慢できても、日本の本来的国益を譲ろうとはさらさら思わない(米国からの力による強制に屈する場合以外は)というのが、当然自然のことと日本人は思うのである。/* 目を韓国に移してみるといい。この国は日本と同じ、「直系家族型」の国である。日本の隣国だから緊密な国際関係があっていいはずだが、現実にはまるで薄氷を踏むような外交関係にある。韓国もまた日本同様、あるいはそれ以上に、「どちらが兄でどちらが弟か」という建前に厳しい国である。それに、日韓併合という屈辱の歴史の記憶もある。日本側がよほど気を付けた国交をしなければ、韓国民こぞっての対日心理は解けない。安部内閣の外交なぞは、日本人からみてすら傍若無人におもえたほどだから、今後ともよほど神経をくばらねば常時隣国を敵とすることになりかねない。ともに仲良く米国の保護国なのにね。(ただ米国との善隣関係でどちらが兄でどちらが弟かと争うことはないと思う。よほど注意しないと簡単にそうしてしまうので。日本古代史の史書に、中国の皇帝の前で、どちらが上席であるべきか争ったという記事が、憤懣の辞とともに残っている。曰く、「百済は礼を知らぬ」。どちらも儒教国だものね。