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2025-09-22 06:57:00
最近のように、ビットコインやステーブルコインが「どなた様かの」熱い期待を集める世情になると、私ははからずも1990年に際会した職場のエピソードを思い出す。/当時世間は好況をいわれながら、実際には職場の収入は伸び悩んでいた。しかし職場が経営上困ることは何もなかった。当時総務課の職員たちは日常の話題として、近年財務戦略で職場が大きな利益を上げていることを熱っぽく話していた。私は年1回の監査報告を聞きながら、職場(本来的に福祉的職場で、本来的には利益ゼロである)の資産内容を聞いた。監査人は「日本国債で運用しています」という。「国債は元来ゼロリスクだが、運用の仕方次第では安全ではありませんから、ご注意ください」ぐらいのことしか私は言えなかった(職場というものは自由に発言できる場ではない。監査報告に「些細な質問」をしたぐらいでも、常識はずれである。)日本国債の直先運用というのが(立派な投機である)世情では流行していた。さらにこれに為替をかぶせて「円キャリートレード」のような構図にすると一層見事な投機になる。/私は当時の上司にプライベートに、もしこういうことをやつているとするとそれは職場の本来の性質とも違反しているので憂慮に堪えないと話した。上司はまじめな人で、私も同感だと応じた。/それからしばらくして、上司は、理事会の席で話したら、私は総すかんを食った。それ以後誰も個人的に私と話をしなくなったと嘆いた。/テレビでいろいろな飛ばしが話題になり、まじめそうな職場が投機の咎めを受けだした。/こういうことの帰結が、1997年の北海道拓殖銀行の清算である・北洋銀行という当時二流の金融機関に併合された。/日本全体の帰結は、以後30年間の大不況である。/ちなみにうちの職場では、理事全員が更迭された。/投機という財務戦略は一種の麻薬である。ひとがそれを悟ったときには、その人もその企業も人生を失っている。これは万古不易の真理のようだな。大不況30年間の日本経済はこの真理を体得したはずだが。/またまたビットコインやステーブルコインなどという「夢の材料」が企業の財務戦略を誘惑している。//なお本文中で国債がゼロリスクと書いたが、1990年当時であれば、『ランダム・ウオーク・アラウンド・ウオールストリート』という金融書がよく読まれていて、この素人向けに書かれた本では、投資する資産のリスク判断に重点が置かれており、そのま